坪井正五郎は、日本の人類学の草分けとなった学者です。東京大学の学生時代の1884年に仲間と「人類学会」(のちの東京人類学会)を作り、のちに東京帝国大学の初代人類学教授となりました。同じ1884年、東京の本郷弥生町で、のちに「弥生土器」と呼ばれる土器が見つかった際にも関わっています。
北海道や千島に残る竪穴住居の跡や土器を作ったのは、アイヌより前に住んでいたアイヌ伝説の小人コロポックルにあたる先住民だと主張し、これを否定する解剖学者・小金井良精らとの間で「コロポックル論争」を繰り広げました。1913年、国際会議のために訪れたロシアのサンクトペテルブルクで亡くなりました。
人物事典
坪井正五郎
つぼいしょうごろう
坪井正五郎に関わる図鑑項目
1件コロポックル
ころぽっくる
アイヌの伝承に登場する小人。アイヌ語で「蕗(ふき)の葉の下の人」という意味とされる。かつてアイヌと交易をしていたが、姿を見られたことで去っていったと伝えられる。北海道を代表する伝説の一つ。