メガラニカとは
メガラニカは、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで作られた世界地図に描かれていた、南半球の広い範囲をおおう巨大な大陸です。ラテン語で「未知の南方大陸(テラ・アウストラリス・インコグニタ)」とも呼ばれました。現在の南極大陸よりもはるかに大きく、南米の南端からオーストラリアの近くまで広がる姿で描かれていました。
メガラニカは、伝説や神話ではなく、当時の地理学者たちが本気でその存在を信じていた大陸です。しかし、探検が進むにつれて、その大陸は実在しないことがわかり、地図から姿を消していきました。
南の大陸はなぜ必要だったのか
南に大きな大陸があるという考え方は、古代ギリシャの時代にさかのぼります。地球が丸いことを知っていた古代の学者たちは、北半球に大きな陸地があるのなら、地球のつり合いをとるために、南半球にも同じくらい大きな陸地があるはずだと考えました。
2世紀ごろの学者プトレマイオスの地理の考え方でも、南の未知の陸地が想定されていました。この考えは、中世を経て、大航海時代のヨーロッパにも受け継がれていきます。
マゼランと「マゼランの土地」
1520年、スペインの船隊を率いたマゼランは、南米大陸の南端にある海峡を通り抜け、大西洋から太平洋へ出ることに成功しました。このとき、海峡の南側に陸地が見え、夜になると先住民がたく火がいくつも見えたことから、その土地は「火の土地(ティエラ・デル・フエゴ)」と名付けられました。
当時の人々は、このティエラ・デル・フエゴを、南方の巨大な大陸の北の端だと考えました。そして、マゼランの名にちなんで、この大陸を「メガラニカ(マゼランの土地)」と呼ぶようになったのです。
地図に描かれたメガラニカ
1570年、フランドル(現在のベルギー周辺)の地理学者アブラハム・オルテリウスは、世界で最初の近代的な地図帳とされる『世界の舞台』を出版しました。その世界地図には、南半球の大部分をおおう巨大な南方大陸が大きく描かれ、ティエラ・デル・フエゴはその一部とされています。同じころの多くの世界地図にも、この大陸が当たり前のように描かれていました。
探検によって消えた大陸
しかし、探検が進むにつれて、メガラニカの姿は少しずつ小さくなっていきました。1578年、イギリスのドレークは、ティエラ・デル・フエゴの南に広い海が広がっていることを確かめ、そこが大陸ではなく島であることが明らかになりました。17世紀には、オランダのタスマンがオーストラリアの南を航海し、南方大陸がそこまで北に広がっていないことを示しました。
決定的だったのは、18世紀後半のイギリスの探検家ジェームズ・クックの航海です。クックは南極圏の中まで船を進め、南半球の海を広く探検しましたが、人が住めるような巨大な大陸は見つかりませんでした。こうしてメガラニカは、地図から姿を消していきました。
南極大陸と「オーストラリア」の名前
実在する南極大陸が初めて確認されたのは、1820年ごろのことです。メガラニカほど大きくはなく、氷に閉ざされた大陸でした。また、「オーストラリア」という国の名前は、ラテン語の「南の土地(テラ・アウストラリス)」から来ています。幻の南方大陸の名前は、形を変えて今も残っているのです。
幻の大陸の仲間たち
海に沈んだとされるアトランティスやムー大陸、インド洋にあったとされたレムリアなど、実在しない大陸の話は数多くあります。その中でもメガラニカは、伝説ではなく「当時の科学の予想」から生まれた大陸であり、探検によって確かめられて消えていった、という点で特別な存在です。同じ南の海の幻の大陸として語られるパシフィスもあわせて読んでみてください。





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