聖徳太子の地球儀

しょうとくたいしのちきゅうぎ

オーパーツ

兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わる小さな地球儀「地中石」。飛鳥時代には知られていないはずの南北アメリカ大陸や南の大陸が描かれ、日本のオーパーツとして話題になった。素材や書かれた地名から、江戸時代に作られたものと考えられている。

別名斑鳩寺の地球儀、地中石、太子の地球儀、聖徳太子 地球儀、日本のオーパーツ
時代・初出 江戸時代(とされる) 年表:江戸時代のナゾ ›
発祥日本(兵庫県)
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聖徳太子の地球儀とは

聖徳太子の地球儀は、兵庫県揖保郡太子町にある斑鳩寺に伝わる、ソフトボールほどの大きさの地球儀です。寺では「地中石」と呼ばれ、聖徳太子ゆかりの宝物の一つとして伝えられてきました。斑鳩寺は、聖徳太子がこの地に開いたと伝えられる古いお寺です。

陸地が盛り上がり、海がへこんだ形で表されていて、ユーラシア大陸やアフリカ大陸だけでなく、南北アメリカ大陸や、南極のあたりにある大きな大陸まで描かれています。

なぜオーパーツと呼ばれるのか

もしこれが聖徳太子の時代、つまり7世紀の飛鳥時代のものだとすれば、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達するよりも900年近くも前に、日本人が地球の姿を知っていたことになります。さらに南極大陸は19世紀まで発見されていませんでした。そのため、「日本のオーパーツ」として、テレビや本で紹介されてきました。聖徳太子には、未来を予言した未来記の伝説もあります。

江戸時代に作られた?

しかし、詳しく調べてみると、地球儀は石ではなく、石灰などを固めた漆喰のような素材で作られていることがわかりました。このような素材が使われるようになったのは、ずっと後の時代です。また、寺の宝物の記録にこの地球儀が登場するのは、江戸時代の終わりごろからです。

さらに、南の大陸には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という地名が書かれています。これは、16〜17世紀のヨーロッパの世界地図に描かれた、想像上の南の大陸「メガラニカ」のことで、江戸時代に日本に伝わった世界地図にも見られます。こうしたことから、この地球儀は、江戸時代に西洋の地図の知識を持つ人が作り、寺に納めたものと考えられています。有名なオーパーツの一覧はオーパーツのページにまとめています。

聖徳太子の地球儀のつながり

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