未来記とは
未来記(みらいき)は、飛鳥時代の聖徳太子(厩戸皇子)が、日本のこれから先の出来事を予言して書き残したと伝えられる書物です。「聖徳太子の未来記」「太子未来記」とも呼ばれます。現在、聖徳太子が書いた本物の未来記は伝わっておらず、その存在自体が伝説の中にあります。
『日本書紀』には、聖徳太子が「兼ねて未然を知ろしめす(未来のことまで見通していた)」と記されており、こうした太子の超人的なイメージが、予言書の伝説を生んだと考えられています。
『太平記』の未来記と楠木正成
未来記の話で最も有名なのが、南北朝時代の軍記物語『太平記』の一場面です。1332年、楠木正成が大阪の四天王寺を訪れ、寺に秘蔵されていた聖徳太子の未来記を見せてもらったところ、そこには「人王九十五代に天下が一度乱れ、東の魚(北条氏)が西の天王(後醍醐天皇)に呑まれる」といった意味の謎めいた予言が書かれていたといいます。正成はこれを後醍醐天皇の勝利と鎌倉幕府の滅亡の予言と読み解き、のちにその通りになったと語られています。
中世に作られたさまざまな未来記
平安時代の後期には、聖徳太子の廟所の近くから太子が書いたという予言の石の文(御記文)が見つかったと伝えられ、その後も「太子の未来記」を名乗る文書が各地に現れました。中世の日本では、世の乱れや天変地異を説明するために、こうした予言書が数多く作られ、語り継がれました。現在では、それらの多くは後の時代に聖徳太子の名を借りて作られた偽書と考えられています。
現代の未来記の都市伝説
現代でも、未来記は「聖徳太子の予言」として、テレビやネットで「近い将来の大災害や首都の移転を予言していた」などと語られることがあります。ただし、そのような内容が書かれた確かな古い文献は確認されていません。予言書としては、フランスの諸世紀(ノストラダムスの大予言)と並べて紹介されることもあります。



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