ペリとは
ペリ(パリ)は、ペルシャ(現在のイラン)の神話や伝承に登場する精霊です。翼を持つ美しい姿で語られ、ペルシャ語の文学では、美しい女性を「ペリのような顔」とたとえる表現が使われるほど、美しさの象徴とされてきました。イランやトルコなどでは、今も「パリ」「ペリ」が女性の名前に使われることがあります。
しかし、ペリはもともと美しく善良な存在だったわけではありません。古代ペルシャでは人々を惑わす悪しき存在として恐れられていたものが、長い時代をかけて、美しい精霊へと姿を変えていきました。
古代ペルシャの「パイリカー」
ペリのもとになったのは、古代ペルシャのゾロアスター教の聖典『アヴェスター』に登場する「パイリカー」と呼ばれる存在だと考えられています。パイリカーは、魔術師と結びついた悪しき女性の霊で、美しい姿で人を惑わしたり、星や作物に害を与えたりすると恐れられていました。
ゾロアスター教では、世界は善の神と悪の勢力の戦いの場であると考えられており、パイリカーは悪の側に属する存在でした。このころのペリは、決して人々に愛される精霊ではなかったのです。
美しい精霊への変化
時代が下り、7世紀以降にイスラム教がペルシャに広まると、ペリのイメージは大きく変わっていきます。イスラム以後のペルシャの文学では、ペリは善良で美しい精霊として描かれるようになり、ときには人間と恋をする存在として登場しました。
11世紀初めごろに詩人フェルドウスィーが完成させたペルシャの民族叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』にも、ペリはたびたび登場します。また、ペリは、人々に害をなす魔神「ディーヴ」と戦う存在として語られることもありました。美しく善良なペリと、恐ろしいディーヴという対比は、ペルシャの物語によく見られるものです。
ヨーロッパに伝わったペリ
ペリの話は、18世紀から19世紀にかけて、東洋の物語への関心が高まる中でヨーロッパにも紹介され、「東洋の妖精」として知られるようになりました。英語でも、ペリは「美しい妖精」を意味する言葉として使われるようになります。
1817年、アイルランドの詩人トマス・ムーアは、東洋を舞台にした物語詩『ララ・ルーク』を発表しました。その中に収められた「楽園とペリ」では、罪のために楽園を追われたペリが、天に最も尊ばれる贈り物を見つければ楽園に戻れると告げられ、世界中を旅して贈り物を探します。英雄が流した最後の血の一滴、愛する人のために命をささげた娘の最後のため息を届けても扉は開きませんが、最後に、罪を悔いた人の涙を持ち帰ったとき、ついに楽園の扉が開かれる――という物語です。
シューマンのオラトリオ『楽園とペリ』
ドイツの作曲家ロベルト・シューマンは、ムーアのこの詩をもとに、1843年にオラトリオ『楽園とペリ』を作曲し、ライプツィヒで初演しました。オラトリオは、独唱や合唱、オーケストラで物語を表現する大規模な音楽作品で、『楽園とペリ』はシューマンの代表作の一つとして、今も演奏されています。
また、1882年にイギリスで初演されたギルバートとサリヴァンの喜歌劇『アイオランシ』には「貴族とペリ」という副題がつけられ、妖精の国と人間の世界をめぐるユーモラスな物語が描かれました。
中東の精霊としてのペリ
中東の精霊としては、アラビアのジンもよく知られています。ジンが煙の出ない炎から生まれた、善にも悪にもなる存在として語られるのに対し、ペリは美しさや善良さの象徴として描かれることが多いのが特徴です。また、古代メソポタミアのウトゥックのように、さらに古い時代の精霊の考え方とあわせて見ると、中東の地域で目に見えない存在がどのように語られてきたのかがわかります。
現代のペリ
現代では、ペリはファンタジー小説やゲームにも、翼を持つ美しい妖精や精霊として登場します。悪しき霊から美しい精霊へ――ペリのイメージの変化は、同じ存在でも、時代や文化によってまったく違う姿で語られることを教えてくれます。ヨーロッパの妖精を指すフェイと比べてみるのも面白いでしょう。





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