徳川埋蔵金
とくがわまいぞうきん
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徳川埋蔵金
とくがわまいぞうきん
江戸幕府が滅びる直前、幕府の巨額の軍資金がひそかにどこかへ埋められたという伝説。幕府の勘定奉行・小栗上野介が群馬県の赤城山に隠したという説が有名で、テレビ番組の大規模な発掘でも話題になったが、見つかっていない。
| 別名 | 徳川の埋蔵金、赤城山の埋蔵金、小栗上野介の埋蔵金、幕府の御用金 |
| 時代・初出 |
幕末(1868年ごろ)
年表:明治〜戦前のナゾ ›
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| 発祥 | 日本(群馬県) |
| ステータス |
- レア度
- 4
- 危険度
- 1
- 実在確率
- 2
- 知名度
- 5
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徳川埋蔵金とは
徳川埋蔵金は、江戸幕府が倒れる直前の幕末に、幕府の莫大な軍資金(御用金)が、新政府軍に渡らないようひそかにどこかへ埋められたという伝説です。1868年、新政府軍が江戸城に入ったとき、城の金蔵はほとんど空っぽだったといわれ、そこから「幕府の金はどこかに隠されたにちがいない」という噂が生まれました。
小栗上野介と赤城山
徳川埋蔵金の伝説で中心となるのが、幕府の勘定奉行(財務の責任者)などを務めた小栗上野介忠順です。小栗は、新政府への徹底抗戦を主張しましたが受け入れられず、領地の上野国(現在の群馬県)の権田村に移り住みました。そして1868年、新政府軍に捕らえられ、取り調べもないまま処刑されてしまいます。
江戸から群馬へ移る際に、小栗が大量の荷物を運んだことや、幕府の財政に精通していたことから、「小栗が幕府の御用金を群馬の赤城山に埋めた」という説が広まりました。その額は、現在のお金で数十兆円ともいわれます。
埋蔵金の発掘
赤城山周辺では、明治時代から多くの人が埋蔵金を探して発掘を続けてきました。1990年代には、テレビ番組が大型の重機を使った大規模な発掘を何度も放送し、日本中の注目を集めましたが、埋蔵金は見つかりませんでした。
赤城山のほかにも、日光や静岡など、各地に徳川埋蔵金の伝説があり、わらべうたかごめかごめの歌詞が隠し場所を示す暗号だという説まであります。一方で、幕末の幕府はすでに財政難に陥っており、そもそも埋めるほどの金は残っていなかったという見方もあります。
徳川埋蔵金の伝承・目撃地点
ご注意
私有地・立入禁止区域への侵入は法律で禁止されています。現地の方の迷惑になる行為はおやめください。
地図上の位置は、伝承・目撃の舞台となった地域の目安です。多くの地点は市区町村・都道府県(海外は都市を約10km単位に丸めた位置・国)の代表点に置いており、正確な場所を示すものではありません。
市区町村の代表点:アドレス・ベース・レジストリ(デジタル庁)をもとにした Geolonia 住所データ(CC BY 4.0) / 国の代表点:Natural Earth
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