ぬっぺふほふとは
ぬっぺふほふ(ぬっぺっぽう)は、顔と体の区別がつかない、ぶよぶよとした肉の塊のような姿の妖怪です。しわだらけの肉の塊に短い手足がついた姿で描かれ、死んだ肉が腐ったような臭いを放つともいわれます。
ぬっぺふほふは、江戸時代の妖怪画に描かれていますが、どんな悪さをするのか、どこに現れるのかといった説明はほとんど残っていません。姿だけが伝わる、謎の多い妖怪です。
江戸時代の妖怪画
ぬっぺふほふの姿は、江戸時代中期の1737年に描かれた絵師・佐脇嵩之の『百怪図巻』に「ぬっぺっぽう」の名で登場します。その後、浮世絵師・鳥山石燕が1776年に刊行した妖怪画集『画図百鬼夜行』にも、「ぬっぺふほふ」として描かれました。
どちらの絵にも、名前と姿は描かれているものの、詳しい説明はついていません。そのため、ぬっぺふほふがどんな妖怪なのかは、絵を見た人がそれぞれ想像するしかありませんでした。
駿府城に現れた「肉人」
ぬっぺふほふと結びつけて語られるのが、江戸時代の初め、1609年に駿府城(現在の静岡市)に現れたという「肉人(にくじん)」の話です。駿府城は、徳川家康が将軍の座を退いたあとに暮らしていた城でした。
江戸時代後期の随筆『一宵話(いっしょうわ)』によると、ある朝、城の庭に、子どもほどの大きさで、肉の塊のような姿をした者が現れました。手はあるものの指はなく、その手で上を指さして立っていたといいます。家臣たちは驚き、捕まえようとしましたが、なかなか捕まらず、家康の命令で城の外の山の方へ追い払われました。
食べると力がつく「封」
のちにこの話を聞いた学者は、それは中国の古い書物に記された「封(ほう)」というものだったのではないか、と語ったといいます。封は、肉の塊のような姿をしたもので、その肉を食べると力がつき、武勇にすぐれるようになるとされる、貴重な仙薬でした。学者は「家来たちが学問を知らなかったために、せっかくの仙薬を手に入れそこなった。惜しいことだ」と残念がったと伝えられています。
中国の「太歳」
中国には、地中から掘り出される、肉の塊のような不思議な物体「太歳(たいさい)」の伝承もあります。太歳は、地中を動き回る神の化身とされ、むやみに掘り出すと災いが起こると恐れられてきました。現代の中国でも、地中から肉のような塊が見つかると「太歳が見つかった」とニュースになることがあり、その多くは、菌類や粘菌などの集まりだと考えられています。ぬっぺふほふや駿府城の肉人の話も、こうした不思議な「肉の塊」の伝承とつながっているのかもしれません。
名前の由来
「ぬっぺふほふ」という不思議な名前の由来は、はっきりしていません。「のっぺり」とした、目鼻のない顔を表しているという説があります。顔のない妖怪としては、卵のようにつるりとした顔ののっぺらぼうがよく知られており、ぬっぺふほふとの関係を考える人もいます。
想像をかき立てる妖怪
説明がほとんど残っていないぬっぺふほふは、そのつかみどころのない姿が、かえって多くの人の想像をかき立ててきました。現代の漫画やゲームでも、ぶよぶよとした不思議な妖怪としてたびたび登場しています。鳥山石燕の妖怪画には、ぬっぺふほふのように、姿だけが描かれて正体のよくわからない妖怪が数多く含まれており、その謎も妖怪の魅力の一つになっています。





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