ジョージ・アダムスキーとは
ジョージ・アダムスキー(1891〜1965)は、ポーランド生まれのアメリカ人で、宇宙人と直接会って交流したと主張した「コンタクティー」の元祖として知られる人物です。彼が撮影したという円盤の写真は「アダムスキー型円盤」と呼ばれ、UFOの典型的なイメージを作り上げました。
アダムスキーの主張は、科学的には信ぴょう性が低いと考えられていますが、1950年代のUFOブームに大きな影響を与え、日本を含む世界中に熱心な支持者を生みました。
パロマー山のふもとで
アダムスキーは、幼いころに家族とともにアメリカへ移住しました。1940年代には、カリフォルニア州のパロマー山のふもとで、小さな食堂を手伝いながら暮らしていました。パロマー山には、当時世界最大級の望遠鏡を持つ天文台があり、アダムスキーは自分の望遠鏡で空を観察し、UFOの写真を撮影したと語るようになりました。
1952年の金星人との会見
アダムスキーが世界的に有名になったのは、1952年11月の出来事です。彼は、カリフォルニア州の砂漠で、友人たちと一緒に空飛ぶ円盤を探していたところ、着陸した円盤から降りてきた金星人と会ったと語りました。金星人は、長い金髪の美しい青年の姿で、身ぶりやテレパシーで会話し、核兵器の危険について警告したといいます。
この体験をまとめた共著書『空飛ぶ円盤実見記』(1953年)は、世界的なベストセラーになりました。その後もアダムスキーは、宇宙人の母船に乗って宇宙を旅した、土星で開かれた会議に出席した、などと語り、本を出版したり、世界各地で講演を行ったりしました。
アダムスキー型円盤
アダムスキーが撮影したという円盤は、上部にドーム状の部分があり、窓が並び、底に3つの球体がついた、釣り鐘のような形をしていました。この「アダムスキー型円盤」は、UFOの代表的な姿として世界中に広まり、その後の多くのUFOの写真や絵にも影響を与えました。ナチス・ドイツの円盤とされるハウニブの図や写真も、アダムスキー型円盤によく似ていることが指摘されています。
また、アダムスキーは、細長い葉巻型の母船から小型の円盤が出てくる様子も目撃したと語っており、「母船」のイメージを広めるきっかけにもなりました。
主張への疑問
しかし、アダムスキーの写真については、早くから、ランプの笠やほかの部品を組み合わせて作った模型を撮影したものではないかと指摘されてきました。また、彼が会ったという金星人についても、その後の科学の発展によって、大きな疑問が生じました。
1960年代以降、宇宙探査機の観測によって、金星の表面は460℃を超える高温で、二酸化炭素の厚い大気に覆われた、生き物がすむことのできない環境であることがわかったのです。こうしたことから、アダムスキーの主張の多くは、信ぴょう性が低いと考えられています。
日本への影響
アダムスキーの本は日本でも翻訳され、多くの愛好家を生みました。日本にはアダムスキーの考えを紹介する団体も作られ、UFOや宇宙人に関心を持つ人々の間で、長く語り継がれてきました。アダムスキー型円盤の姿は、日本の漫画や特撮番組の中のUFOのデザインにも取り入れられています。
コンタクティーの時代
アダムスキーのように、宇宙人と直接会ったと主張する人々は、1950年代のアメリカで次々と現れ、「コンタクティー」と呼ばれました。のちには、宇宙人に連れ去られたと語るアブダクションの体験談が注目されるようになります。宇宙人との出会いの物語は、時代とともに姿を変えながら、今も語られ続けています。





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