累ヶ淵とは
累ヶ淵(かさねがふち)は、江戸時代の下総国羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)を舞台にした怨霊の物語です。この地を流れる鬼怒川の淵で殺された女性・累(かさね)の怨霊が祟ったと伝えられ、その淵が「累ヶ淵」と呼ばれるようになりました。四谷怪談、番町皿屋敷と並び、日本の三大怪談に数えられることもあります。
累の怨霊の物語
伝承によると、羽生村の農民・与右衛門の妻となった累は、容姿が醜かったために夫に疎まれ、ある日、鬼怒川を渡る途中で夫に川に突き落とされ、殺されてしまいました。その後、与右衛門は何人もの妻を迎えましたが、次々と亡くなってしまいます。
やがて与右衛門の娘・菊に累の怨霊が取り憑き、菊の口を借りて、自分が夫に殺されたことや、自分もまた親の因果を背負っていたことを語り始めました。村人たちが困り果てていたところ、のちに江戸の増上寺の住職となる高僧・祐天上人が念仏の力で累の霊を成仏させたと伝えられています。この出来事は1690年に『死霊解脱物語聞書』という本にまとめられ、広く知られるようになりました。
真景累ヶ淵と累の墓
幕末から明治にかけて活躍した落語家・三遊亭圓朝は、この伝説をもとにした長編の怪談噺『真景累ヶ淵』を作り、大評判となりました。親の因果が子に報い、恐ろしい出来事が連鎖していくこの作品は、今も落語や映画などで演じられています。
茨城県常総市羽生町の法蔵寺には、累の墓と伝えられる墓や、祐天上人ゆかりの品が残されており、累の霊を供養し続けています。





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